目次
小林甘寧の名前の由来やレース成績を紹介!
今回は、広島支部所属の若手レーサー「小林甘寧」を紹介していきます。
養成所時代には第134期の修了記念競走で見事チャンプを果たし、その高い潜在能力が注目されました。
名前の印象とは裏腹に、レースでは冷静さと大胆さを兼ね備えた走りを見せる実力派です。
まだデビュー間もないながらも、将来の競艇界を背負う存在として注目度が高まっています。
そこでこの記事では、小林甘寧のプロフィールだけでなく、レース成績・師匠など詳しく解説していくので、ぜひ最後までご覧下さい。
小林甘寧のプロフィール
| 名前 | 小林甘寧 |
|---|---|
| 誕生日 | 2003年11月26日 |
| 出身地・支部 | 広島県/広島 |
| 身長・体重 | 170cm/54kg |
| 血液型 | A型 |
| 登録期 | 134期 |
| 登録番号 | 5348 |
| 級別 | B2級 |
小林甘寧は、広島県出身のボートレーサーです。
小学校、中学校はサッカーを9年間やっていたとのこと。
どれだけの成績を残したのかはわかりませんが、9年間をやっていたとなるといかに本気でやっていたのかがわかりますね。
そして、高校ではサッカーを辞めてフィールドホッケーに打ち込んだとのこと。
なぜ、フィールドホッケーに移行したのかもわかりませんが、フィールドホッケーは、ランニング・方向転換・ボール操作など、動きの多様性が高いです。
そのため、レーサーに必要な姿勢の安定・体幹の強さ・俊敏な動きがあると考えられます。
このように、高校でのフィールドホッケー経験は、レーサーとしての基礎体力や戦う姿勢を養う上で重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
名前の甘寧は三国時代に活躍した伝説の武将!
小林甘寧の読み方は、「コバヤシカンネイ」です。
「甘寧」という名前はなかなか聞き馴染みない名前かもしれませんが、一部のファンはご存じの方もいることでしょう。
この「甘寧」という名前は、三国志に登場する武将の名前です。
以下が三国志の「甘寧」の画像になります
父親が、三国志のファンであることからこの名前が名付けられたみたいです。
小林甘寧のように、親の趣味や好きなアーティストから名前をつけることは多々います。
子供に名前をつけることからいかに父親が三国志好きだったのかがわかりますね。
高校は広島山陽学園山陽高等学校
高校は、地元の広島山陽学園山陽高等学校に進学しました。
工学科・デザインコースでは色彩検定やインテリア・デザイン実習など、実践的なカリキュラムがあり、取得実績も報告されています。
さらに、高大連携協定を大学と締結し、進学支援体制が整っていることも特徴です。
部活動・学校行事も活発で、全国大会クラスのサッカー部やホッケー部、和太鼓部「山陽太鼓 弾」など、スポーツ・芸術両面で強みがあります。
この中で、小林甘寧はフィールドホッケー部に所属していたみたいです。
また、部活動に関して実績が分かり次第、更新していくのでお楽しみにお待ち下さい。
師匠は山口剛選手
小林甘寧の師匠は、山口剛選手です。
そんな山口剛選手のレーススタイルは、圧倒的なイン戦の強さ。
スタートの正確性と、1マークの先マイ技術が非常に高く、1コースでの1着率は常に80%を超えるレベルにあります。
さらに、センター・アウトコースからでも鋭い差し足で勝負をかけるタイプ。
特に3コース・4コースからのレースでは、展開を読む洞察力が光ります。
これらの特徴がある山口剛選手ですが、そのレーススタイルは弟子である小林甘寧にも受け継がれていました。
小林甘寧もデビュー当初から 、差しやまくり差し を意識したレースを展開しています。
派手に握って攻めるよりも、「相手の動きを見て、空いたところを狙う」という 知的で落ち着いたレース運び が特徴です。
まだ、デビューして間もないということでインコースでのレース回数は少ないですが、山口剛選手の指導の下これからも成長し続けていくことでしょう。
レース成績
これまでの小林甘寧の成績を以下にまとめました。
| グレード | 出場節数 | 出走数 | 1着数 | 勝率 | 1着率 | 2連対率 | 3連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| SG | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.0% | 0.0% | 0.0% |
| G1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.0% | 0.0% | 0.0% |
| G2 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.0% | 0.0% | 0.0% |
| G3 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.0% | 0.0% | 0.0% |
| 一般 | 22 | 177 | 2 | 2.16 | 1.1% | 4.5% | 10.7% |
初出走は2024年5月17日で、初勝利は2025年8月12日です。
また、初勝利については、次の章で詳しく解説していきます。
これまでの成績を見ても、勝率は「2.16」、2連対率は「1.1%」、3連対率は「10.7%」と、数字上はまだ控えめな結果です。
出走コース別では、デビュー直後ということもあり外枠からのレースが多く、思うように展開が作れない場面も多々。
しかし、平均スタートタイミングは「0.19秒」と安定しており、スタート勘の良さや落ち着いたレース運びが徐々に形になり始めています。
まだ優出や優勝といった大きな成果はありませんが、デビューから1年足らずの期間で、ターン技術や展開読みの成長がレース内容からも感じられつつあることも事実。
特に6コースなど外からの差し・まくり差しでは、冷静にチャンスをうかがう姿勢が見られ、経験を重ねるごとに走りが安定してきています。
今後、機力を引き出す整備技術を高め、レースごとのコース取りを磨いていけば、確実に上位争いに加われるポテンシャルを秘めているでしょう。
まだ数字以上に伸びしろを感じさせる走りが多く、今後はB1級昇格などに期待です。
養成所時代はチャンプに輝く!
小林甘寧は養成所時代に、同期の中でも高い実力と安定したレース運びで注目を集め、2024年3月22日に行われた「第134期修了記念競走」で見事優勝を果たしました。
この修了記念競走は、養成所で1年間鍛錬を積んだ訓練生たちが最後に挑む卒業レースであり、その中で優勝することは養成所チャンプとして同期の頂点に立つことを意味します。
その中で、小林甘寧は2コースから冷静にスタートを決め、差しを決めて優勝。
レース後のインタビューでは・・・。
「長いようで短く、とても濃い1年でした。みんなと一緒に頑張れたことが一番の思い出です」
と語り、仲間と走れたことがどれだけ嬉しかったのかがわかりますね。
過去に養成所時代にチャンプになった方には、池田浩二選手や篠崎元志選手など、今では競艇界を代表するレーサーが多数います。
これからの活躍にも期待です。
2024年11月22日内期違反で即刻帰郷!
2024年11月22日、小林甘寧選手はボートレース宮島での出場中にボートレースの内規違反が認められ、即日帰郷処分となりました。
内規違反とは、日本モーターボート競走会や各競走場の内部で定められた、公式の「モーターボート競走競技規程」とは別の細則や運営上の取り決めに対する違反行為のことです。
その中で、小林甘寧が行ってしまった違反行為は、フライングをした際にもそのままレースを完走してしまったため。
一般的には、フライングをしてしまった選手は、フライングが発覚した時点でレースに参加することはできなくピットに戻る必要があります。
しかし、小林甘寧はそのまま好走してしまったため、違反行為となり失格!
これにより2ヶ月の出場停止となってしまいました。
2025年8月12日に初勝利!
2025年8月12日の宮島競艇場で初勝利を上げました。
その時の映像がこちら。
このレースは、2コースに実力があるA1級上平真二選手が配置されていました。
また、1・4・5号艇にも同じ広島県支部の先輩選手たちが多くいるレース。
その中で、見事に6コースの小林甘寧がまくり差しを決めてレースを制しました。
実力者が多い上に地元である広島県で初勝利することができたのは、本人にとってとても嬉しいことでしょう。
その水神祭での様子も上記の動画で確認することができるので、ご覧になってみて下さい。
まとめ
今回は、小林甘寧について紹介してきました。
いかがだったでしょうか?
小林甘寧は小学校・中学校と9年間サッカーをやっていました。
その後、高校ではフィールドホッケー部に所属。
サッカーやフィールドホッケーでどれだけの結果を残したのかはわかりませんでしたが、その競艇で必要な基礎体力はこの時から身についたのでしょう。
そして、養成所時代には見事にチャンプに輝きました。
2024年にデビューして以降、着々と実力をつけていき、2025年8月に嬉しい初勝利。
まだ、新人選手なので、整備技術などの課題はあるものの、成績を伸ばしてきています。
今後、間違いなく飛躍していく可能性が高いので、期待しましょう。
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